川崎哲のブログとノート

ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲の活動の紹介、オピニオン、資料などを載せています

核軍縮「賢人会議」と意見交換会を行いました

昨日(11月15日)に長崎で「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」とNGOとの間の意見交換会が開かれました。長崎の被爆者や高校生平和大使を含む計12名がNGO側から参加しました。私はNGO側を代表して冒頭の発言をさせていただきました(発言原稿はこちら(英語・日本語))。 会全体の内容は、核兵器廃絶日本NGO連絡会のブログに出ており(各種報道へのリンクも載せています)、また、外務省のウェブサイトでも紹介されています。 率直な意見交換ができました。第一に、いかなる核兵器の使用も国際人道法違反であるとこちらが述べたことに対して、委員からは、核保有国の中には人道法に反しない核使用もありうるとの見方があることが紹介されましたが、別の委員はこのような容認論に対して明確に反論しました。 第二に、核抑止に依存した安全保障は長期的のみならず今日においても危険であるとするこちらからの問題提起に対して、委員からは、核抑止力は依然必要ではあるが核抑止力への依存は低減しなければならないという明確な発言がありました。 第三に、核保有国は他国に #核兵器禁止条約 への署名・批准に圧力をかけるようなことをやめるべきだとのこちらからの投げかけに対して、委員からは、賢人会議が「礼節ある対話」というのは「まさにそのこと」だとの応答がありました。 そのほか、教育の重要性は繰り返し双方から言及されました。また、こちらから提起した「ジェンダーと軍縮の関係」については、軍縮プロセスにおける女性の参加拡大に関しては、具体的な数値目標のようなものを定めないと言いっ放しにおわるとのコメントがありました。 ともあれ、賢人会議の今後の報告書が、(1)核兵器の使用をいかなる場合においても許容せず、(2)核抑止に依存した安全保障の危険性を警告しそこからの脱却を求め、(3) 核兵器禁止条約への圧力や敵対行為を批判する、というものになることを期待しつつ、監視していきたいと思います。 Advertisements

2018/11/16 · Leave a comment

国民が求めてもいない憲法改定の議論をしている暇があったら、世界が求めている核兵器禁止条約への参加の議論をせよ

本日「止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる11・3国会前大行動」に参加し、ピースボート共同代表として発言しました。ステージ上に、昨年核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が受賞したノーベル平和賞のメダルと賞状を持っていきました。そのときに発言したことの概要は以下の通りです。 憲法9条に基づく不戦の誓いと、核兵器の廃絶は、日本が第二次世界大戦と広島、長崎、沖縄の惨害を踏まえて得た二本柱の教訓であり、基本課題です。 10年前私たちは「9条世界会議」を開催し、日本国憲法9条には世界平和のメカニズムとしての価値があることを確認しました。以来、憲法9条にノーベル平和賞 を!という運動も広がってきました。昨年のICANの受賞は、日本の私たちにとって、戦後平和の基本原則を改めて思い起こさせました。 昨年私はノーベル平和賞授賞式に参加しましたが、その前後でノーベル委員会関係者の多くから「日本は本当に憲法を変えてしまうのか」ということを繰り返し尋ねられました。 今年のノーベル平和賞は、戦時下の性暴力と戦うコンゴの医師とイラクの女性に授与されることが発表されましたが、安倍総理も河野外相も、この受賞について未だ何ら談話を発表していません。(平和に関心があまりないのかな。) 私は先日ニューヨークから帰国したばかりですが、昨日の国連総会第一委員会で、日本政府は、核兵器禁止条約の署名・批准を促す決議案に反対投票をしました。核兵器が禁止され廃絶されることに反対だということなのでしょうか。 核兵器禁止条約に反対する理由として日本政府は、「核抑止力が我が国の安全保障にとって不可欠だから」としています。核兵器が日本の平和を守っているということのようです。しかし本当でしょうか。日本が戦後70年以上にわたって直接の戦争に巻き込まれずにきたのは「核兵器のおかげ」でしょうか。 第二次世界大戦以来、核兵器は戦争を止めたり防いだりするどころか、戦争の危機を煽り、私たちを危機の崖っぷちに追いこんできました。核兵器などという恐ろしく忌まわしく危険きわまりない殺戮の道具によって平和を守るなどというのは、道徳的退廃であり、文明への挑戦であり、空想的観念に過ぎません。 何が戦後日本の平和を守ってきたのでしょうか。これから何を頼りに日本の平和を守っていくべきなのでしょうか。核兵器などという危険きわまりない物体に頼るなんて、まっぴらごめんです。憲法9条を生かした平和的外交にこそ、力を与えなければなりません。 朝鮮半島をみてみましょう。昨年北朝鮮が核・ミサイル実験を繰り返しアメリカがこれに軍事的威嚇をすれば、戦争の脅威は高まりました。今年になって南北朝鮮が対話し米朝首脳が会談すれば、朝鮮半島の平和と非核化の道が開かれました。武力による威嚇か外交か、どちらが平和に近いかは明らかです。 憲法を変えようといっている自民党の政治家たちは「自衛隊や自衛権を書き込むだけだ、自衛だから大丈夫」と言っています。しかしそんなことが信じられるでしょうか。これまでほとんどの戦争は「自衛のため」や「領土保全のため」といって戦われてきました。 しかも、憲法を変えようと言っている自民党の政治家たちは、2015年の安保法制によって、これまで「自衛権」の歯止めとされてた線を力ずくで変更し「これからは集団的自衛権も大丈夫」と変えてしまった人々です。前科があります。この人たちが言う「自衛だから大丈夫」をあなたは信じられますか。 日本政府は、核兵器の保有や使用も「必要最小限の自衛なら憲法違反ではない」と解釈をしています。これが、広島・長崎の惨害を経て平和主義を掲げてきた日本国憲法の解釈として許されるでしょうか。しかも昨年には核兵器禁止条約が「いかなる核兵器の使用も国際人道法違反」と明確に定めたというのに。 国会議員たちは、国民が求めてもいない憲法改定の議論をしている暇があったら、世界が求めている核兵器禁止条約 に署名・批准するための議論をすべきです。それこそ、日本の平和憲法を今日の世界で生かす道です。 (以下、LabornetTVより。レイバーネットの記事はこちら)

2018/11/03 · Leave a comment

破綻した「橋渡し」論--核軍縮国連決議にみる日本の迷走

11月1日、国連総会第一委員会で核軍縮に関する一連の決議案の採決が行われた。日本政府は、核兵器禁止条約の署名・批准を促す決議案に反対した。一方、日本政府が提出した決議案は、今年も核兵器禁止条約にまったく言及しなかった。核兵器国に核軍縮を求める内容もたいへん弱いものにとどまったが、それでも、例年日本決議案に賛成していた米国は今年は棄権に回った。 核兵器禁止条約促進決議に反対 核兵器禁止条約の署名・批准を促す決議案(L.24)は、オーストリアなど70カ国が共同提案した。核兵器禁止条約への署名と批准をすべての国に呼びかけるというだけのシンプルな内容だ。それでも日本は反対した。 日本政府は核兵器禁止条約に署名しない理由を、核兵器廃絶という目標は共通だがそのための「アプローチが異なる」からだと説明してきた。核軍縮は核兵器国の協力を得て進めるものであって、禁止条約には核兵器国が参加していないので実効性がなく、日本としては核兵器国と非核兵器国の「橋渡し」を担うというのである。 しかし、目標は同じだがアプローチが異なるというだけであれば、わざわざ反対せずとも棄権をすればよかったはずだ。 日本は昨年も同種の決議案に反対したから、それを引き継いだだけとの見方もあろう。しかし、昨年の決議案は条約交渉の流れをくむものだったのに対して、今年の決議案はそれら背景部分を取り除きリセットして、禁止条約の署名・批准を促すというだけのシンプルなものになっていた。 禁止条約の掲げる目標は共有しているというのなら、同条約に署名・批准できる国がする分にはさせておけばよいではないか。ただし日本はまだ署名できる状態にないといって、棄権すればよいはずだ。核兵器禁止条約促進に反対ということは、日本は、核兵器禁止条約の署名・批准国が増えないでほしい、同条約が発効しないでほしいと思っているということなのか。 日本だけでなく、北大西洋条約機構(NATO)加盟国や韓国、豪州などの米同盟国は一致して反対を投じている。だが、たとえばフィンランドは反対せず棄権にとどまった。核兵器禁止条約の交渉開始までの数年間、日本とフィンランドは、核兵器の非人道性について条約推進国側と米同盟国側の双方の声明に名を連ねるという中間的態度をとっていた。フィンランドはその後禁止条約については棄権を維持しているが、日本は核兵器国と一緒になって「反対」の立場を鮮明にした。 核軍縮の約束を後退させる日本決議 一方の日本提出の核兵器廃絶決議案(L.54)は、今年も核兵器禁止条約に言及すらしなかった。私は核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメンバーらと政府に再三「せめて言及はせよ」と要請してきたし、投票直前にはニューヨークでピースボートの被爆者らと大使に直接要請していただけに、残念である。 「橋渡し」というなら、禁止条約側の主張と核兵器国側の主張の両者の存在をまず認めなければならない。ところが禁止条約は明確に反対であって、自ら出す決議案には禁止条約に言及すらしないというのであれば、そもそも橋の渡しようがない。 日本決議案はこれまで、核兵器国の賛同を得ていることが売りだった。たしかに、厳しい内容で拒絶されるよりは、穏やかな内容でも核兵器国にコミットさせるのが賢明という見方もあろう。しかし実際には、日本決議案は昨年以来、核兵器国への核軍縮の要求を大幅に後退させてきた。たとえば昨年は、これまで核不拡散条約(NPT)の再検討会議の中で確認されてきた「あらゆる核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の被害」という文言から「あらゆる(any)」を削除したり、核兵器国による「核兵器の完全廃絶を達成するという明確な約束」というべきところ「NPTを完全履行するという明確な約束」に言い換えたりした。 こうした、既存のNPT上の文言を後退させるやり方に批判が集まったため、日本は今年はNPT第6条や過去の合意文書に明示的に言及するなど、少しだけ核軍縮のニュアンスを強めた。だが、具体的な核軍縮措置を求める文言には軒並み「国際的安全保障環境を改善させつつ」という但し書きが付けられている。安全保障環境が改善されなければ核軍縮はできないという言い訳が見え隠れする。 これは核兵器国の言いぶりと符合する。5核兵器国は共同声明(10月29日)の中で、核兵器禁止条約を「国際的安全保障環境を無視している」と批判し「我々は、核軍縮をさらに前進させることに資する国際安全保障環境の改善に努力することにコミットする」としている。彼らがコミットしているのは核軍縮そのものではなく、そのための安全保障環境の改善だというわけだ。 1995年のNPT無期限延長以来、核兵器国は核軍縮のさまざまな約束を行ってきた。それらの約束を履行せず、漠然とした「安全保障環境」なるものを持ち出すことで不履行が正当化されるのであれば、NPT合意さらにはNPT体制そのものの信頼性が崩れる。 そうやって核兵器国に譲歩をしてでも核兵器国から言質をとり彼らを軍縮につなぎ止めていくことに意味がある、との主張もあろう。日本政府はこれまでそう説明してきた。だが今年の結果は、これまで賛成していた米仏が棄権に転じ、中ロは反対である。河野外相は「核兵器国や核兵器禁止条約を支持する国を含め、様々な立場の多くの国々の支持を得」たと談話で自慢してみせたが、実際に核兵器国で賛成したのはイギリス1カ国のみだ。 核兵器国に引きずられて過去の軍縮合意を後退させていくと、結局それが次の交渉の出発点となってしまう。昨年来の日本決議は、次の2020年NPT再検討会議の出発点を大幅に核兵器国側に引き寄せる役割を果たした。それでいて核兵器国の賛成票をほとんど得られていないのだから、外交失点でしかない。そうした本質的問題点を指摘せず、単に政府談話を垂れ流しているような報道が多いのは残念である。 日本政府の「橋渡し」論はもはや破綻している。核兵器禁止条約側にも核兵器国側にもどちらにも関与できないまま迷走しているというべきだ。今一度、被爆国として核軍縮の原点に立ち返った議論が必要である。 2018.11.3 川崎哲

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