11月1日、国連総会第一委員会で核軍縮に関する一連の決議案の採決が行われた。日本政府は、核兵器禁止条約の署名・批准を促す決議案に反対した。一方、日本政府が提出した決議案は、今年も核兵器禁止条約にまったく言及しなかった。核兵器国に核軍縮を求める内容もたいへん弱いものにとどまったが、それでも、例年日本決議案に賛成していた米国は今年は棄権に回った。
核兵器禁止条約促進決議に反対
核兵器禁止条約の署名・批准を促す決議案(L.24)は、オーストリアなど70カ国が共同提案した。核兵器禁止条約への署名と批准をすべての国に呼びかけるというだけのシンプルな内容だ。それでも日本は反対した。
日本政府は核兵器禁止条約に署名しない理由を、核兵器廃絶という目標は共通だがそのための「アプローチが異なる」からだと説明してきた。核軍縮は核兵器国の協力を得て進めるものであって、禁止条約には核兵器国が参加していないので実効性がなく、日本としては核兵器国と非核兵器国の「橋渡し」を担うというのである。
しかし、目標は同じだがアプローチが異なるというだけであれば、わざわざ反対せずとも棄権をすればよかったはずだ。
日本は昨年も同種の決議案に反対したから、それを引き継いだだけとの見方もあろう。しかし、昨年の決議案は条約交渉の流れをくむものだったのに対して、今年の決議案はそれら背景部分を取り除きリセットして、禁止条約の署名・批准を促すというだけのシンプルなものになっていた。
禁止条約の掲げる目標は共有しているというのなら、同条約に署名・批准できる国がする分にはさせておけばよいではないか。ただし日本はまだ署名できる状態にないといって、棄権すればよいはずだ。核兵器禁止条約促進に反対ということは、日本は、核兵器禁止条約の署名・批准国が増えないでほしい、同条約が発効しないでほしいと思っているということなのか。
日本だけでなく、北大西洋条約機構(NATO)加盟国や韓国、豪州などの米同盟国は一致して反対を投じている。だが、たとえばフィンランドは反対せず棄権にとどまった。核兵器禁止条約の交渉開始までの数年間、日本とフィンランドは、核兵器の非人道性について条約推進国側と米同盟国側の双方の声明に名を連ねるという中間的態度をとっていた。フィンランドはその後禁止条約については棄権を維持しているが、日本は核兵器国と一緒になって「反対」の立場を鮮明にした。
核軍縮の約束を後退させる日本決議
一方の日本提出の核兵器廃絶決議案(L.54)は、今年も核兵器禁止条約に言及すらしなかった。私は核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメンバーらと政府に再三「せめて言及はせよ」と要請してきたし、投票直前にはニューヨークでピースボートの被爆者らと大使に直接要請していただけに、残念である。
「橋渡し」というなら、禁止条約側の主張と核兵器国側の主張の両者の存在をまず認めなければならない。ところが禁止条約は明確に反対であって、自ら出す決議案には禁止条約に言及すらしないというのであれば、そもそも橋の渡しようがない。
日本決議案はこれまで、核兵器国の賛同を得ていることが売りだった。たしかに、厳しい内容で拒絶されるよりは、穏やかな内容でも核兵器国にコミットさせるのが賢明という見方もあろう。しかし実際には、日本決議案は昨年以来、核兵器国への核軍縮の要求を大幅に後退させてきた。たとえば昨年は、これまで核不拡散条約(NPT)の再検討会議の中で確認されてきた「あらゆる核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の被害」という文言から「あらゆる(any)」を削除したり、核兵器国による「核兵器の完全廃絶を達成するという明確な約束」というべきところ「NPTを完全履行するという明確な約束」に言い換えたりした。
こうした、既存のNPT上の文言を後退させるやり方に批判が集まったため、日本は今年はNPT第6条や過去の合意文書に明示的に言及するなど、少しだけ核軍縮のニュアンスを強めた。だが、具体的な核軍縮措置を求める文言には軒並み「国際的安全保障環境を改善させつつ」という但し書きが付けられている。安全保障環境が改善されなければ核軍縮はできないという言い訳が見え隠れする。
これは核兵器国の言いぶりと符合する。5核兵器国は共同声明(10月29日)の中で、核兵器禁止条約を「国際的安全保障環境を無視している」と批判し「我々は、核軍縮をさらに前進させることに資する国際安全保障環境の改善に努力することにコミットする」としている。彼らがコミットしているのは核軍縮そのものではなく、そのための安全保障環境の改善だというわけだ。
1995年のNPT無期限延長以来、核兵器国は核軍縮のさまざまな約束を行ってきた。それらの約束を履行せず、漠然とした「安全保障環境」なるものを持ち出すことで不履行が正当化されるのであれば、NPT合意さらにはNPT体制そのものの信頼性が崩れる。
そうやって核兵器国に譲歩をしてでも核兵器国から言質をとり彼らを軍縮につなぎ止めていくことに意味がある、との主張もあろう。日本政府はこれまでそう説明してきた。だが今年の結果は、これまで賛成していた米仏が棄権に転じ、中ロは反対である。河野外相は「核兵器国や核兵器禁止条約を支持する国を含め、様々な立場の多くの国々の支持を得」たと談話で自慢してみせたが、実際に核兵器国で賛成したのはイギリス1カ国のみだ。
核兵器国に引きずられて過去の軍縮合意を後退させていくと、結局それが次の交渉の出発点となってしまう。昨年来の日本決議は、次の2020年NPT再検討会議の出発点を大幅に核兵器国側に引き寄せる役割を果たした。それでいて核兵器国の賛成票をほとんど得られていないのだから、外交失点でしかない。そうした本質的問題点を指摘せず、単に政府談話を垂れ流しているような報道が多いのは残念である。
日本政府の「橋渡し」論はもはや破綻している。核兵器禁止条約側にも核兵器国側にもどちらにも関与できないまま迷走しているというべきだ。今一度、被爆国として核軍縮の原点に立ち返った議論が必要である。
2018.11.3 川崎哲
Pingback: 核軍縮国連決議をめぐって – 地球倫理:Global Ethics