川崎哲のブログとノート

ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲の活動の紹介、オピニオン、資料などを載せています

11月24日の誕生日に「議員ウォッチ」へのドネーションをお願いします

11月24日に、私は52才の誕生日を迎えます。そして来年1月22日には、核兵器禁止条約が発効します。 毎年多くの方から誕生日のお祝いをいただけるのはありがたいことです。今年は、誕生プレゼントの代わりに「議員ウオッチ」プロジェクトにご寄付をいただけないでしょうか。 「議員ウォッチ」は、日本の国会議員が核兵器禁止条約に賛同しているかどうかをウォッチするスマホ用のサイトです。いま「Go To ヒジュン!キャンペーン」として、大学生をはじめ多くの皆さんと一緒に「議員ウォッチ」を使って国会議員一人ひとりに働きかけを行っています。日本が核兵器禁止条約に批准するようにするためには、今から1~2年、まずは議員に意識をもってもらい、選挙の争点にもしていくことが重要だと思います。 こちらのボタンで、1,000円から寄付できます。マンスリーサポートは月300円から可能です。決済手数料を除いて全額「議員ウォッチ」プロジェクトに寄付され、「議員ウォッチ」のシステム維持と開発、議員らとの通信や調査経費に使われます。 ご寄付は、こちらから。

2020/11/17 · Leave a comment

[2020.11] NATOも動き始めた

被団協新聞の11月号に寄せた連載コラム(非核水夫の海上通信)を紹介します。 NATOも動き始めた  核兵器禁止条約に対して北大西洋条約機構(NATO)諸国や日、韓、豪など米国と同盟関係を結ぶ国はいずれも未署名のままだ。だが最近、NATOで新しい動きが出てきた。 9月、2名の元NATO事務総長や潘基文元国連事務総長など米国の核の傘下国22カ国から計56人の元首脳・元外相らが核兵器禁止条約への支持と加入を求める書簡を公開した。 10月には、ベルギーで誕生した新連立政権が「核兵器禁止条約によって多国間の核軍縮をさらに加速させられるような方法を模索したい」とする政策を発表した。条約への加入を直接意味するものではないが、核兵器禁止条約に前向きに言及するのはNATO加盟国としては初めてだ。 核保有国との同盟国でも核兵器禁止条約に入ることは法的に可能だ。NATO諸国の新しい動きを踏まえ、日本の国会でも方針転換を論ずるべきだ。(川崎哲、ピースボート)

2020/11/15 · Leave a comment

核兵器の終わりが始まったー核兵器禁止条約発効の意味

本日発売の岩波書店『世界』12月号に「核兵器の終わりが始まった」と題して、核兵器禁止条約発効の意味について文章を寄せました。この条約に「実効性がない」との批判に反論し、同条約の歴史的意義を論じ、締約国会議への課題を整理し、日本を批准させるための道筋について提案しています。詳しくはこちら。

2020/11/07 · Leave a comment

『軍縮教育 ピースボートの方法論』(Navigating Disarmament Education: The Peace Boat Model)を出版しました

このたび、国連軍縮部(UNODA)の「市民社会と軍縮(Civil Society and Disarmament)」シリーズの出版物として、『軍縮教育 ピースボートの方法論』(Navigating Disarmament Education: The Peace Boat Model)という英語の本を出版しました。そして11月3日に、国連総会第一委員会期間における「軍縮週間」のイベントとして、出版記念オンライン・イベントをUNODAとピースボートの共催により行いました。また11月4日には、共著者である畠山澄子さんが本書の内容を日本語で解説する出版記念トークをピースボートの定例勉強会の一環で行いました。 1983年に発足したピースボートは、戦争や兵器がもたらす世界のさまざまな問題について、現地を訪ね、現場に学び、当事者の体験や証言に焦点をあてながら解決策を模索するという独自の方法論で、幅広い教育やアドボカシー活動を行ってきました。広島・長崎の被爆者が船旅を通じて世界各地で被爆証言をしていく「おりづるプロジェクト」は、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)によるアドボカシーと連携しながら、核兵器禁止条約の成立に貢献しました。 今回の書籍は、こうしたピースボートの活動を「軍縮教育」の1つのモデルとしてとらえ、その方法論を豊富な実践例に基づいてまとめたものです。私と畠山澄子さんの共著というかたちをとっていますが、ピースボートのチームとして取り組んだ出版です。主たる著者は畠山さんで、メリ・ジョイスさんが全般的な執筆補助、ピースボートUSのエミリー・マグローンさんが国連との折衝を担当しました。 ◆書籍詳細◆「Navigating Disarmament Education: The Peace Boat Model(「軍縮教育 ピースボートの方法論」 )」共著:畠山澄子(ピースボートスタッフ)、川崎哲(ピースボート共同代表/ICAN国際運営委員)序言:中満泉(国連軍縮担当上級代表)、サーロー節子(被爆者)A5版114ページダウンロードはこちらから:https://www.un.org/disarmament/civil-society-and-disarmament-2020/

2020/11/06 · Leave a comment

[2020.10] ミサイル軍縮をこそ

被団協新聞の10月号に寄せた連載コラム(非核水夫の海上通信)を紹介します。 ミサイル軍縮をこそ 敵基地攻撃能力の保有に政府・与党が前のめりだ。ミサイルの脅威に対し現在の迎撃システムが十分でないので、ミサイルが飛来する前に相手領内で叩こうというものだ。専守防衛の範囲内だとして「攻撃」とは言わず「ミサイル阻止」と称している。だが事実上の先制攻撃に道を開くものであり、憲法違反の疑いが濃厚である。 冷戦時代に米ソはABM条約を結び、互いにミサイル迎撃を禁ずることで均衡を図った。だが今世紀に入り米国はこれを離脱しミサイル迎撃網を構築。日本は米国と共同で開発、配備した。ロシアや中国はこれを脅威と捉え、軍拡に走った。迎撃だけでなく攻撃もするとなれば、当然相手は反応する。危険な軍拡競争のスパイラルである。 本来注力すべきは、ミサイルを落とすことより発射させないことだ。ミサイル管理と削減のための軍縮協議こそ必要である。(川崎哲、ピースボート)

2020/10/11 · Leave a comment

「なんだ学者が偉そうに」という前に(日本学術会議への人事介入問題について考えること)

「学問の自由」というのは、単に学者個人が何を研究してもかまいませんよ、どうぞご勝手にという話ではない。学問が公権力や私企業に支配されることなく独立している必要があるということだ。それが、戦前の歴史からの教訓だ。 独立というのなら、じゃあ学者たちが自分のお金と責任で勝手におやりください、ということなのかといえば、それも違う。そもそも、研究も教育も、公的支援がなければできない。そうでなければ学問は金持ちの道楽か、あるいはお金に余裕のある企業のお抱えの研究ばかりになってしまう。 学術研究と教育に国家がお金を出す。これは現代の国家のもっとも基本的な役割の一つだ。狭い意味での国策を達成するためにということではない。私企業のお抱え研究所じゃないんだから。もっと広い意味で、幅広く学術研究と教育の場を保障する。その多様性、包含性が、国家の豊かさにもつながる。 と言いつつも、何だ学者は偉そうに、大して役にも立たない仕事をして特権階級じゃないか、と思う人もいるだろう。私だって周りの人を見てそう感じることもある。しかし実際のところは、大事な研究や教育に携わっている多くの人たちが必要な支援を受けられずヒーヒー言っているのが実情だ。その状況は近年、悪化の一途をたどっている。 とにかく今の日本では、学術研究や教育に対して拠出される公的資金が少なすぎる。大学の授業料がものすごく高いのは皆さんご存じの通り。それに対して奨学金は、近年少し改善されたとはいえ、まだまだ不足している。実態は、多くの学生が将来にわたって多額の借金を背負わされているというものだ。 行政改革の対象として日本学術会議を見直すという。絶対に見直すなとまでは言わない。そりゃあ日本は財政難だし、どこにでも無駄はあるだろうから、他の多くの組織と並んで見直すべきかもしれない。だが今回の話は、首相が行った法的に説明のつかない恣意的人事から目をそらすための措置のようだ。 今でも全然足りていないのに、学術研究や教育にかける公的なお金をこれ以上削っていったら、日本は今以上に、本当に貧弱な国になっていく。国としての厚みも、魅力も、失われていく。本当にそれでいいのか。 首相が行った法的に説明のつかない恣意的人事の問題をごまかすために、もともと学術会議が悪いんだとか、そもそも学者っていうのがムカつくんだとか、そんなキャンペーンが張られていくのだろう。批判されると「フェイクだ!既得権益だ!」と逆ギレするあたりが、ドナルド・トランプと一緒だ。 学問も報道も芸術も、ときに社会や政治を批判する。それが役割であって、それが自然な姿だ。私自身は、NGO活動家兼大学講師だから、はっきり言って批判してばっかりだ。煙たがる気持ちも分かるが、批判的なものを排除するとか、金を出さないとか、要職に就けないとかし始めたら、国家として終わりだ。惨めですらある。 それだけではない。専門家の批判を煙たがって排除することが、危機につながることもある。日本がかつて戦争に突入したことはだいぶ前の話であるが、9年半前の福島での原発の過酷事故もまさにそのような人災として起きた。自由闊達に批判的な研究や議論がなされ、指導者がそれに耳を傾けることで社会は進歩する。国家でも企業でもどんなグループ、コミュニティでも、それは同じことだろう。 2020.10.11川﨑哲

2020/10/11 · Leave a comment

[2020.9] 人種差別と核廃絶

被団協新聞の9月号に寄せた連載コラム(非核水夫の海上通信)を紹介します。 人種差別と核廃絶 5月に米国で黒人男性が白人警官に殺された事件をきっかけにブラック・ライブズ・マターという反人種差別の運動が世界に広がっている。核廃絶運動においても、反差別や人権とのつながりを意識した議論が頻繁に聞かれるようになった。 論点は多様だ。そもそも原爆がドイツでなく日本に落とされた背景には人種差別があったという主張。また、核実験など核開発が植民地や先住民族の土地で行われてきたという「核の植民地主義」への批判。米国では、朝鮮戦争に際し核兵器が使用されてはならないと大きな声を上げたのはアフリカ系市民だったとの報告がある。 核兵器禁止条約は核被害者の権利に着目した人権条約でもある。核廃絶を広島・長崎だけでなく普遍的課題として世界に広める好機だ。一方、運動やNGOの中での人権と多様性保障という課題も忘れてはならない。(川崎哲、ピースボート)

2020/09/19 · Leave a comment

[提言] 敵基地攻撃能力ではなく、北東アジアの軍縮協議を

私が代表をつとめる集団的自衛権問題研究会は、岩波書店『世界』10月号(9月8日発売)に「敵基地攻撃能力ではなく、北東アジアの軍縮協議を」と題する緊急提言を発表しました。 8月4日に出された自民党の政府への提言は、その表現こそ用いていないものの事実上「敵基地攻撃能力」の保有を提言するものです。それはいくら「自衛目的」と強弁してみても、実質的には他国領内で先制的に、またはそれに近い形で武力を行使することに他なりません。専守防衛から明らかに逸脱するものであり、憲法9条に違反する疑いが濃厚です。 私たちの提言の骨子は以下の通りです。 1.北東アジアにおける核・ミサイルの脅威に対処する軍縮・軍備管理の協議を発展させること ・日中軍縮・不拡散協議の強化。 ・米朝交渉と南北交渉を通じた朝鮮戦争の終結と半島の非核化のための国際的行動。 ・米ロ中韓朝日6カ国による北東アジア軍縮・軍備管理協議。 ・地域のミサイルに関する情報交換から管理・削減へのロードマップ策定(米軍のミサイルも議題に)。 ・北東アジア非核兵器地帯構想の議論を深める。 2.日本は専守防衛を堅持し、これを変更すると受け止められるような政策を止めること ・「攻撃的兵器の不保持」原則の厳格化 ・「敵基地攻撃能力」を構成しうるあらゆる兵器の導入や開発の中止。 ・辺野古の基地建設の中止と普天間返還に向けた米国との交渉。 ・南西諸島における誘導弾部隊の配備やF35戦闘機訓練を前提とする自衛隊基地建設の中止。 3.世界的な核軍縮の進展を後押しすること ・米ロによる新STARTの延長。中国を含む多国間の軍縮・軍備管理協議を時間をかけて形成。 ・日韓による核兵器禁止条約署名。 4.気候変動や感染症が「人間の安全保障」に深刻な脅威をもたらしている現状を踏まえ、安全保障政策の包括的な見直しを進めること ・北東アジア諸国間でコロナ対策に関する情報交換。軍事支出を削減して医療・保健に転用。 ・北東アジア諸国間で感染症対策、気候変動、災害対応など「人間の安全保障」の協力の強化。 なお『世界』同号は「攻撃する自衛隊」と題する特集を組んでおり、半田滋氏による「イチからわかる敵基地攻撃Q&A」や杉原浩司氏による「『敵基地攻撃能力』保有論を批判する」など関連記事を多数載せています。 https://www.iwanami.co.jp/book/b529414.html

2020/09/11 · Leave a comment

戦時中の差別とどう向き合うか――「ひろしまタイムライン」から考えること

戦時中の差別とどう向き合うか 「ひろしまタイムライン」から考えること NHK広島のプロジェクト「ひろしまタイムライン」の中で、朝鮮半島出身者に対する差別的表現を含むツイートがなされたことが、大きな議論を呼んでいる。事実関係についてはすでに多く報道されているので(*1)、詳しくはくり返さない。要するに、1945年当時の人が感じたことを現代の人に実感をもって知ってもらうために、日記などをベースにアレンジを加えてツイッターで発信するというプロジェクトで、その一部に朝鮮半島出身者への差別的な表現が含まれていたという問題である。プロジェクトには、多くの若者が関わっている。 原爆や平和に関わる活動をする者として、遅ればせながら、私がこの問題についてどう考えるかを明らかにしておきたい。このプロジェクトには私が知る人たちも関わっているし、私はこれまでマスコミ等で、この「ひろしまタイムライン」のようなプロジェクトが戦争の記憶が風化する中でとても重要だと述べてきた。それゆえ他人事として論評するつもりはなく、むしろ自らへの教訓を含む問題として考えている。 第一に、現代の若者を含む多くの人たちが、戦時中の人々の暮らしぶりや苦しみやさまざまな感情に思いをいたすことができるようにする取り組みは、とても貴重なものだ。とりわけ「ひろしまタイムライン」の場合は、SNSという現代人に身近なツールを使うという手法がとても斬新で、評価されるべきだ。これ以外にも、各種ネット技術やスマホのアプリなどを活用してさまざまなプログラムが開発され試行されている。その多くを担うのが若者である。多くの若者が、戦争が人間に対してもたらしたことについて知りたい、学びたいと熱意をもって取り組んでいることはとても心強いものだし、私もできる限り参加や応援をしていきたいと思う。 第二に、その上で、今回問題となったツイート(6月16日付、8月20日付)は、明らかに朝鮮半島出身者に対する差別的な表現であり、このようなツイートがなんら文脈や説明のないままに突然人々のスマホやパソコン上のタイムラインに登場したならば、誤った理解や差別意識を助長するといわざるをえない。NHK広島は8月24日付のブログ投稿で「戦争の時代に中学1年生が見聞きしたことを、十分な説明なしに発信することで、現代の視聴者のみなさまがどのように受け止めるかについての配慮が不十分」であったと述べているが(*2)、まさにその通りだ。この点は、関係者に強く反省をしていただきたいと思う。 戦時中に、現代の価値観からすれば許容できないような差別的意識や言動が、国籍、民族、出身、性別、年齢、職業その他もろもろについてあったというのは事実だろう。しかし、それらについて触れたり、それらを言葉として再現したりすること自体が許されないということではない。たとえば演劇、ドラマ、文学、歴史書その他さまざまな媒体の中で、そのような表現が出てくることはあろうし、そうしたことを記録し伝承していくことには意味がある。単に蓋をしてしまえば、後世への教訓という意味ではむしろマイナスである。 だが、たとえば演劇やドラマであれば、劇場に入るとかテレビを観るという行為の中で、人々は準備ができている状態である。これに対してツイッターの場合は、突然にその言葉だけが登場し、かつ独り歩きするから問題である。NHK広島は先の投稿で、今後は「必要に応じて注釈をつける、出典を明らかにするなどの対応を取り、配慮に欠けたり、誤解が生じたりすることがないように努め」るとしている。当然であろう。しかし、ツイッターというツールを使うことに意味があるこのプロジェクトで、果たして逐一注釈を付けたりすることが可能なのかは疑問だ。私には、ツイッターを使いつつ、この矛盾を解消する名案は思いつかない。プロジェクトメンバーの皆さんには、是非よく考えて、よい方法を編み出していただきたいと願う。 第三に、当該ツイートを削除すべきかどうかという問題についてである。このような差別的表現のツイートは、在日コリアンを含む多くの人々を傷つけるものであるから削除すべきであるという意見が多数表明されている。私は、NHK広島が、上記のようにまさに「配慮が不十分」であったという判断の下で当該ツイートを削除するならば、それは妥当なことだと思う。しかし、自ら削除を強く求めるという立場をとることには躊躇がある。 私は、ヘイトスピーチを厳しく法的に規制すべきと考える者の一人であるが、そのことと、表現の自由という現代社会において死活的に重要な価値との両立をどう図るかについては、慎重に考えるべきだという立場である。一般論ではあるが、個人(文学者、芸術家、ジャーナリストなどを含む)が発した表現について、それを削除または抹消せよということを他者が求めることについては、きわめて慎重でなければならない。仮にそのようなことがあっても、それは厳格かつ公正な基準の下でなされなければならない。そうでないと、逆に、平和や自由や正義を求める表現が権力によって削除また抹消されることに道を開きかねない。また、残念ながら今日、今回のようなものとは異なり、あからさまな憎悪の意図をもって拡散されているヘイトスピーチが数多くある。それらを止めることの方が優先課題ではないか。 今回のケースでは、文脈の説明のないままに差別的表現がむき出しで存在していることが問題なのである。したがって、もしプロジェクト当事者が、当時この少年がこのように感じたであろうという記録を残したいと思うのであれば、このツイートを、ツイッターからはいったん削除した上で、文脈上の説明のある形で、ウェブサイトの他の箇所に置き直すなどの措置がとれると思う。 第四に、類似の問題をどう防ぐかという問題である。平和活動に携わる私にとっては、これはまさに当事者としての問題である。私は、ピースボートの国際交流の船旅をはじめ、さまざまな国際的な平和に関する行事を数多くやってきた。今回の件に類似する問題に直面したことは少なくない。 ある行事で、日本の若者が、アウシュビッツにおけるナチスの虐殺行為を学びそれを報告していたときに、聞いていた他国の人が、報告者が第二次大戦中に日本が犯した罪について自覚が足りないと感じ、行事終了後に大きな議論になったことがあった。また別の行事においては、日本が太平洋戦争に突入していった経緯について日本の若者があまりに無知であるので、その経緯をわかりやすく、ややコミカルに描いて日本の大人たちが説明していたところ、それをみた他国の人が「ふざけている」と不快に感じ傷ついたということがあった。 これらの事例と今回の問題に共通して背景にあるのは、そもそも日本の人々の間で、近現代における日本の加害責任や戦争責任に関する基本的な知識や理解が欠如していることだ。とくに若者の場合はそうした教育をほとんど受けていないので、自らよかれと思ってした言動が、思わぬ反発を招いてしまうことがままある。これは単に若者が悪いというよりも、日本の大人たちが、自国の歴史の負の側面にきちんと向き合ってこなかったことのつけである。このような表現をすれば他国の人が傷つくであろうということについての想像力が、あまりにも貧弱な日本になってしまった。今回のプロジェクトに関わっている若者の中で、これだけ大きな問題になってしまったことに戸惑っている人も多いと思う。しかし、これを個人への批判という次元で受け止めるのではなくて、国際的な問題を扱う上での素養という観点からとらえて、次への糧としていただきたい。 日本で戦争体験のある方々と話をしていると、当時の軍国主義的教育の影響を今に至るまで受けているものだと驚いてしまうことがある。ふだん戦争反対や平和を唱えている人たちが、生活における小さな振る舞いの中で、敵国意識、上下関係、ジェンダー差別など、驚くほど戦時中的な価値観を表現することがあるのだ。戦争体験に学ぶ活動をしている人であれば、少なからずそのような経験があるだろう。そういう場面でどうすればよいか。いつも悩むのだが、私の基本的な姿勢は、そのような差別的な言動を、否定はしないが、許容もしないというものだ。すでにご高齢になられた方々を個人的に批判しても仕方ないだろうと思う一方、決してそのことを自分として許容したり、自分の周りに対して正当化してみせていくようなことはしてはいけない。 今日の民主主義社会では許容されないような価値観が、戦時中には大手を振るっていた。しかしそれは過去に終わった問題ではなく、一面では、75年経った今日にまで連続している。過ちをくり返さないために、私たち一人ひとりが自らを律する力をもたなければならない。 2020.8.27 川崎哲 *1 毎日新聞「ひろしまタイムラインに“差別扇動”批判 NHK原爆企画 「朝鮮人」ツイート巡り」2020年8月21日 https://mainichi.jp/articles/20200821/k00/00m/040/280000c ハフィントンポスト「NHK「ひろしまタイムライン」で“朝鮮人”に関する投稿 ⇒ NHKは「実際の表現にならった」と説明(UPDATE)」2020年8月21~22日 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f3f0c0fc5b6763e5dc0f57b 朝日新聞「「ひろしまタイムライン」NHKが謝罪 差別助長と批判」2020年8月24日 https://digital.asahi.com/articles/ASN8S6VQ5N8SPITB00R.html *2 https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/434653.html この投稿のPDF版はこちら

2020/08/27 · Leave a comment