「日米安保条約は不公平で変えるべきだ」というトランプ大統領の発言をめぐって
2019.6.30
川崎哲
昨日トランプ米大統領が、日米安保条約が「不公平」で「片務的」だから「変えるべきだ」とG20後の記者会見で述べた。私はそのことで朝日新聞の取材を受け、次のように引用されている。
国際交流NGO「ピースボート」共同代表の川崎哲さん(50)も、今回の発言が日米安保改定につながるとは思わないという。「米国が攻撃を受けた時、無条件で自衛隊を海外に送るには、確実に憲法を改正する必要がある。そのハードルは非常に高く、非現実的だ」とみる。トランプ氏は、日米安保が不公平だと日本政府に伝えたと話しているが、日本政府は否定している。双方の食い違いについて川崎さんは「日本政府は内心焦っているのだろうが、嵐が過ぎるのを待っているのでは」と述べた。
ここで述べたことの趣旨をもう少し説明しておきたい。
日米安保条約は、米国は日本が攻撃されたら日本を防衛すると約束する代わりに、日本は米国に基地を提供するという取り引きを基本としている。米国が攻撃されたら日本が米国を防衛するという義務はない。
日米安保条約が「不公平」だと米国側が主張するとすれば、(1)日本は米国を防衛するために兵力を出すべきだ、(2)日本は安保協力のためにもっと金を出すべきだということのいずれかまたは両方だということになろう。
そもそもトランプ氏は、2016年の大統領選当時、日本やNATO諸国など同盟国は「ただ乗り」するな、もっと負担せよと主張してきた。それは彼の「アメリカ・ファースト」の姿勢を象徴し、支持層にアピールした。そのため日本政府は、トランプ大統領が就任したとき、米軍駐留経費の負担増を求めてくるのではないか、また、対日本防衛の約束が揺らぐのではないかとおそれた。そこで安倍首相は、いち早く対トランプ「接待外交」を展開した。そして2017年2月の初のトランプ・安倍会談では、米側から明示的な財政負担増要求はなく、かつ、米国が日本を(核・通常兵器を含む)軍事力で防衛するという約束が明確に再確認されたので、日本政府は胸をなで下ろしたわけだった。
だがその後、日本政府が米国の武器や兵器システムを大量に購入することを約束させられてきた実態が明らかになってきた。北朝鮮が核・ミサイル実験をやめたにもかかわらずイージス・アショアを導入しようとしているのは、その象徴的な例だ。
つまり、「もっと兵を」「もっと金を」という二つの可能性のうち、「もっと金を」については実態が進行している。今回のトランプ氏の発言は「さらにもっと買え」ということかもしれない。あるいは、貿易問題など他の政治課題と絡めてのことかもしれない。
では「もっと兵を」についてはどうか。振り返れば、1991年の湾岸戦争以来、日本が米国の世界的作戦行動にもっと軍事的に貢献せよという主張は、米国の政府や政府系識者らによって一貫して展開されてきた。この圧力の中で日本の自衛隊は1992年から海外展開を始め、その範囲や役割は拡大されてきた。この動きの推進勢力は、日本の憲法9条を日米安保協力の「足かせ」として批判してきた。9条は明文改憲されいないまでも、アフガンやイラク戦争を経て自衛隊の海外任務は拡大し続け、ついには2015年の安保法制で集団的自衛権まで容認されるところまできた。
つまり、一定の条件の下で日本は米国に「兵を出す」制度は作られた。しかし、集団的自衛権はまだ発動されていない。米国が日本に「もっと兵を」という場合、たとえばそれは、今後イランとの戦争が始まった場合に、日本は安保法制を適用して兵をイランに出せということなのか。
2015年の安保法制は、(それじたいが違憲であるという見方もあるが)米国が攻撃されたときそれが日本国にとって「存立危機事態」ならば自衛隊は武力行使できるという内容だ。米国が仮に、それでもなお不満である、米国が攻撃されたら日本は「自動的に」集団的自衛権を行使して参戦せよと言ってきたらどうなるか。そのような要求に日本が仮に応じようとするならば、確実に憲法9条を変えなければならない。そして、安倍自民党が提唱するところの「9条2項を変えて自衛隊を明記する」どころではなく、9条1項にある「武力によって国際紛争を解決しない」という戦争放棄の原則じたいを変えなければならない。私は、そんなことをすべきではないと私自身考えるのみならず、日本国がそのような意思決定に達するということはまったく非現実的なシナリオだと思う。
9条改憲論者である安倍氏は、トランプ大統領の言葉を利用して、「日本は米国とより対等なパートナーになるためにも、憲法9条を変えましょう」と主張しようと思うかもしれない。しかし今のところ、そのような素振りはない。これが憲法論議とリンクされれば、「自衛隊を書き込むだけ」の改憲では済まなくなることが分かっているからかもしれない。
いずれにせよ今回のトランプ発言は、日米安保について、二つの根本的な問題を浮き彫りにした。一つは、日米安保を強化すれば米国が日本が提供する「抑止力」が高まり、日本の安全はより確かになるという日本政府の主張の土台が揺らいだということだ。安保法制を強行する際にも、辺野古の基地建設を推し進める際にも、日本政府はこれで米国は日本を確実に守ってくれるようになると言ってきた。しかしトランプ氏の言動をみれば、米国が「日本の貢献はまだ不十分だ」といって、日本のためにリスクある行動をとらない可能性があることは明らかだ。
もう一つは、日米安保条約は「変わりうる」ということである。いかなる条約も、当事国が真剣に求めれば変えることはできる。日本の政府や人びとは、日米安保条約を不磨の大典のごとくに扱ってきた。私は、核兵器廃絶運動の中で、日米安保条約の下でも核兵器禁止条約に加入することは可能であると言ってきた。日本は米国と他の形での安保協力はするけれども核兵器には一切関わらないということを決めて、関連文書に書き込めばいいだけなのだから。基地問題も同様である、日本政府が、とりわけ沖縄をはじめとする基地周辺住民の被害を真剣に受け止めているのならば、条約や関連協定の改正を求めることは可能である。
トランプ氏の挑発に乗って、では日米安保条約を議論しましょうという話を始めると、米側から膨大な要求を受けるのみならず、憲法や基地といった巨大な箱のふたを開けることになるから、日本政府としてはそんなことはしたくない。そこでトランプ発言を真に受けず「嵐が過ぎる」のを待っているというのが、政府の今日の姿勢だろう。しかし、嵐は過ぎないかもしれない。トランプ大統領にとって、次の選挙戦が近づいているからである。そうなってくると日本政府は、これまでもそうしてきたように、国民に見えない裏で約束をして、そのかわり表ではそういう発言は控えてねという説得工作に入る可能性がある。だからこそ私たちは、政府が何を米国に約束しているのかを常に監視して、情報公開をさせていかないといけない。
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